のんびり ゆっくり KAIDA


歴史にふれる


開田村はH17年11月1日に合併して「木曽町」となりました。
村誌等を参考に文を作成しているため、
「開田村」をそのまま使用しています。ご了承ください。


何世代にもわたって営まれてきた暮らし、そこから生まれた文化。
険しい木曽の山中でありながら、たくましく暮らしを営んできた確かな歴史があります。
たとえ朽ち果てているほこらにも、道端で風雨にさらされて表情が消えてしまった石仏にも、さまざまな歴史が秘められています。
山の小道を散策しながら、時折出会う時代の小さな足跡に思いをはせてみませんか。


開田郷土館 電話 0264-42-3127 

馬産地にふさわしく、馬具や馬の医術書を展示。
あわせて農具・民具なども紹介し、開田高原の今日までの歴史を解説しています。
中でも、最後の純血木曽馬「第三春山号」のはくせいは貴重です。
この他、わら細工、白樺工芸品やドライフラワーなども販売しています。

営業期間 4月上旬 〜 11月30日、 月曜日休館、※祝日又は休日にあたる場合は開館し翌日休館
入館料 大人200円、 子供150円、団体割引有り
開田村郷土館



長野県宝 山下家住宅・開田考古博物館電話 0264-44-2007 

山下家住宅は、江戸時代末期に建てられた家をほぼ原形で保存する長野県宝。
山下家の先祖は、代々「伯楽」と呼ばれた馬の医者。
江戸時代には、庄屋・鍛冶屋とともに村の三役をつとめた大馬主でした。
馬を小作に貸して、仔馬が生まれると馬市で売り、小作と折半しました。
仔馬一頭の代金の半分で普通の農家が一年暮らせた時代、山下家の最盛期には250頭の親馬を持ち、年に100頭の仔馬を売ったとされています。

当時、木曽谷屈指の資産家で、木曽谷三大持馬の家に数えられていました。
山村には珍しく、贅を尽くした本棟造りの破風と懸魚が特徴。
囲炉裏や正座敷の書画など、往時を偲ばせるものが数多く残されています。

県宝山下家住宅の隣の考古博物館は、旧石器時代から縄文時代の旧開田村の歴史遺産を豊富に展示。
特に開田高原にある柳又遺跡から出土した旧石器類はいずれも希少なもの。
およそ3万年から1万年前、開田高原に住んでいた人の一端に触れることで、古代へのロマンがかきたてられます。

営業期間 4月1日 〜 11月30日、 月曜日休館、※祝日又は休日にあたる場合は開館し翌日休館
入館料 大人400円、 子供200円、団体割引有り

山下家住宅



矢じり  考古博物館

・・・ 木曽馬について紹介 ・・・

木曽馬の特徴

体高は平均133cm。
まえがみ、たてがみは長く、密生している。
下あごが発達し、額が広く、首が太いので、顔に丸みがある。
背骨に沿って走っている黒い毛(鰻線/まんせん)のものが多い。
首と背中が水平に近い。
消化器が発達し腹が大きく、胴長短足である。
X状の後脚はふんばりがきき、丈夫な足腰で、坂道でも安定性があり、荷を乗せたり車を引くのに適している。



木曽馬の特性
木曽馬は、日本に昔から飼われていた「日本在来馬」とか
「日本和種」といわれる馬です。中型馬に属し、
体高は平均133cmです。 険しい山間高冷地で
長年飼育された木曽馬は、厳しい自然環境に適応して極めて
強健で粗食に耐え、 ひずめは堅く、蹄鉄をうつ必要はありません。
丈夫で安定性のある脚は、狭い山路でも踏み外すことなく
急な坂道を安全に上り下りすることができます。
農家で飼育されていた頃の木曽馬は、人と同じ屋根の下で、
しかも日当たりの良い東南向きのうまやで女性の手により
我が子同様に育てられていました。
近所で馬が病気になれば、見舞いを贈るなど扱いは人間なみでした。
温順で賢い性格は、この歴史と風土が育てあげたものといえます。

木曽馬の歴史
木曽馬の最古の記録としては、安閑天皇の御代(530年代)
元木曽の神坂村湯舟沢霧ヶ原に牧場が設けられた、という
記述があることから、この頃から飼育が始められたと考えられています。
1180年木曽義仲挙兵の頃には、木曽馬は優れた馬として名声を高めました。
以後、江戸時代を通じて木曽馬は武士の象徴であり、交通運輸の
担い手として日本文化の発展に貢献してきました。
明治に入り、木曽馬は山間地農耕馬として、およそ7,000頭にも達しました。
その後、軍用馬として不適格との理由で国は外国種の
種雄馬を導入して改良を推進し、とうとう昭和18年を最後に、
木曽系種雄馬は最後の一頭まで淘汰されてしまいました。
しかし、昭和21年、御神馬(ごしんめ)として密かに残されていた
純系木曽馬の雄馬をもとに、復元と保護育成事業が開始されました。
昭和44年には「木曽馬保存会」が結成され、一時50頭以下に
減少してしまった木曽馬も年毎に頭数も増え、現在では
木曽地域に約70頭、全国では約100頭が保護・育成されています。


・・・ おもな石碑など ・・・ 開田村の昔話・石碑の由来

末川 稗田の碑
中村彦三郎さんにより水田を始めて
ひくことでき
飢えからまぬがれた

丸山馬頭観音
開田村では馬は
大切で家族同様
子馬が生まれると
ここに来て鐘を鳴らし
みんなに教えた

縁結びの木
太蔵とおたきの
悲恋物語

「嫁入り唄」の碑
別名、「コチャ節」



麻織物の歴史
    書 籍 『木曽の麻衣』  (開田村教育委員会発行)



開田の麻衣づくり(工程)


麻と人々のかかわり


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木曽は昔から麻衣織が盛んで、特に開田村は雪がたくさん降ることもあり、雪の上にさらして凍らすことにより白さが一層増し良い麻になりました。
開田村の故畑中たみさんが麻織物の伝承者として長野県の無形文化財に指定されたこともあり、このまま歴史がなくなってはと昭和48年に旧東小学校に勤務しておられた澤頭修自先生他の方々のお力により出版された書籍『木曽の麻衣』よりその工程と人々とのつながりを抜粋して紹介します。
開田村でも風化しつつあり、しっかりと歴史として残したいとのおもいがこめられています。参考にしてください。
このファイルはPDF形式となっています。



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