開田村の昔話

『サル引き馬の絵馬』

開田村は昔、木曽一番の木曽馬の産地でした。
木曽馬に、ある年悪い病がはやり出し、動けぬ馬、死ぬ馬が増えた事がありました。 馬小作は困り果てた・・・
馬小作とは、自分の馬を持てない貧しい百姓のことで、馬地主から馬を借りて飼い、子馬が生まれれば、春秋の馬市で競り売りをし、売ったお金の半分は地主に納めていた。残りの半分が生活費です。
「困ったなあ、これでは一家食いだおれだ。」
「ほっておけば、村が滅びてしまう。」
村人は必死に、この病気とたたかった。 しかし、馬の病は、ますます広がるばかり、死ぬ馬がどんどん増えていきました。
「これは何かのたたりかもしれん。馬頭観世音さまをおまつりし、おはらいをして清め、神主様におがんでもらったらどうだろう。」
村一番の老人が言い出すと、
「そうだ、馬頭観世音様をまつることを、なぜ今まで考えつかなんだ。」
「そうだ、そうだ。」
と云うので、早速おまつりをすることに話はまとまりました。
神主が頼まれ、恩木部落の丸山観音に、西野村、末川村の人達全員が集まり、おはらいをしてもらう事になりました。
観音様の前は、身動きが出来ない程大勢の人が集まり神主がおはらいをし、皆も熱心に祈りました。神主が のりとを上げ、のりとが一きわ高くなって終わると・・・・
「村の衆。今、お告げがあったぞ、サルをまつるのじゃ。サルこそ馬を守る神様のヨリマシ(神様がのりうつられるものだと言っておられる。」
村人の顔にとまどいの色が見え、にわかにざわめきが起った。
「いったい、猿をどうしろというのだ。」
これは誰にも解らなかった。そこで神主は再び神様に聞くことにした。長いのりとが終わると神主は言った。
「生きているサルをと言っても、困るであろうが、サルの絵を板に彫るのじゃ。サルが馬を引いている絵馬をな。そして紙二枚に写し取り、一枚を神社に奉納し、一枚を馬屋にまつるのじゃ。サルこそ全ての災いの中から馬を引き出し、災いを取りサル神のつかいじゃ。」 村人は喜びにわき立った。
村人は早速家に帰ると、熱心にサル引き馬を板に彫った。赤いちゃんちゃんこを着て、烏帽子をかむったサルが、馬のたずなを持ち、馬を引っぱっている思い思いの絵馬を。
そしてお告げのとおりにした。馬頭観世音のおまつりも盛大に行った。すると馬の病はうそのように消え失せてしまった。 それからというもの、このサル引き馬の絵馬は、木曽中にひろまっていった。
しかし、「木曽っ子」とよばれ、愛されてきた木曽馬が少なくなるとともに、この絵馬もだんだん作られなくなり、今ではなかなか見かける事も出来なくなってしまった。

 
         サル引き馬の絵馬
  

*この内容は開田村役場の了承のもと、"開田村誌・開田村の石造文化財”より引用掲載しています。転写はご遠慮ください。

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