
地蔵峠への道
下に見える木曽馬の里

九蔵峠

九蔵
峠から西野川を見る
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・・・・・『峠今昔』・・・・・
地蔵峠 (1335m)
地蔵峠の名の由来は峠にある地蔵尊。台座には享保13年(1728年)と銘があります。本尊像は心もとない人に持ち去られ、現在のお地蔵さまは昭和45年に再建されたものです。峠付近からは正面に御嶽の全容を望み、北に乗鞍岳、東に木曽駒ヶ岳を望むことが出来ます。眼下には開田村末川の集落と末川川が流れています。
地蔵峠は木曽福島町と開田村を結ぶ主要道路でしたが、昭和六十二年に、新地蔵トンネルが開通し、国道361号線の名称も今年から新地蔵トンネルの道に変わり、地蔵峠は県道になりました。
峠道はかって木曽と飛騨高山を結ぶ「飛騨街道」として、重要な交通路で、富山湾で獲れる海産物が高山を経て、木曽に運び込まれました。峠の手前にある唐沢の滝は難所中の難所で、改修工事には、その都度難渋を極め、昭和になっても車の通行は不可能で、荷物はもっぱら人の背か、馬に頼るしかなかった。
大正14年から開田村で医療に携わってきた医師下島亮二氏の著書
『僻地医療とともに』の中に・・・・・
『なんとしても、道路を開けなければならない。道があかないことには村の生活も、文化もない。道路こそ開田村の生命線である。』・とのべている。昭和17年、開田村長に就任 村民と共に自ら地蔵峠の改修工事に従事した。地蔵峠を越えて西野までバスが入ったのは昭和31年でした。
西野峠 (1370m)
村の中心地である把の沢から西野へ行くには西野峠を越え、西野から飛騨へ関谷峠(1332m)を越え、更に長峰峠を越えなければならなかった。この道が旧飛騨街道です。
西野峠は行程1時間30分。
今は絶好の散策コースですが、1370mの峠越えは大変難儀で把の沢麓の清水で喉をうるおし、西野峠中腹の善助観音で一休みして頂上へ向かう・・・・ 頂上近くで、下坂という戦国時代木曽衆が飛騨勢への抑えに山城を築いた、のろし台に使われたといわれる城山。ここにはお清地蔵(地蔵菩薩立像)や馬頭観音が立っています。
城山(1429m)からの展望は西野の集落が一望でき開田高原の広さを改めて知ることができます。
関谷峠
関谷は、昔関屋とも書き、飛騨街道を下向より藤沢川を渡り関谷木戸ノ谷(木戸とは関所を意味する)へ降りる峠で、飛騨口に備えて関所があった。
長峰峠
木曽と飛騨を結ぶ峠の一つで、飛騨側からは「木曽街道」と呼ばれ飛騨ブリもこの峠を越えて運ばれた。木戸ノ谷を上り北上して、長峰嶺を越え、大野郡日和田(飛騨の国益田郡高根村)阿多野を過ぎて県道野麦街道に合す。
国道361号線の整備により、今の長峰峠の標識のある場所は尾境峠という場所で、古い峠道はこれより北尾根沿いに2km北上、高根村の日和田に通じる道です。 頂上には地蔵菩薩のほか、「御嶽山大権現」の碑があり、『御嶽四門』の一つ御嶽信徒がここで御嶽を遥拝したところです。
木曽義仲の「駒かけ岩」という岩もある。元亀三年、飛騨勢と木曽勢が戦い、木曽勢が勝利した古戦場でもある。
九蔵峠 (1229m)
城山の南側にある九蔵峠(現在の国道361号線は昭和29年に開通。
木曽福島からのバスは昭和31年秋に開通、・・・昭和49年11月に国道となった。)バスが通るようになっても村人はよくこの道を利用し、スクールバスが通るようになるまで中学生の通学路でもあった。
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